ふわり、と笑った目もとがあまりにも穏やかだったので。
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
寝ぐせか天然パーマか、どちらにせよぼさぼさとした頭。
よれよれのコートを羽織り、ちいさな荷袋をかついだ、まるでスナフキンのような格好。
そんな人が、近所に住んでいる。
彼を見るのはごくたまに。
時間もまちまちでまだ日も昇りきらない時間であったり、真昼だったり、夜だったり。
活動時間はさっぱりわからない。
聞くところによると、彼は画家らしい。
名前は・・・聞いたことがないのできっとあまり売れてないのだろう。
ご近所のおばさんたちが、ひそひそと、もちろんあまりいい感じはしない話し方で噂をしていた。
つまりは、無職だと。
 
無職かあ。
無職って、楽しいのかな。
 
 
まだ就職したばかりで、職場にも馴染みきれない私はその噂を聞いた時、ぼんやりとそう思った。
 
仕事をすることが決して嫌いなわけじゃない。
学生というモラトリアムから抜け出して、ようやく自分で立てるようになったとも感じる。
そりゃあ、上司は厳しいし、仕事の量は多いし、楽しいことばかりじゃないけれど、それでも、投げ捨ててしまいたくなるほどのものでもない。
むしろ私は、何かやることがなければ不安になってしまうような性格だったから。
 
 
だから、彼を知ったとき、彼に興味を持った。
 
 
何もすることがなく、ありあまる時間を彼は一体どうやって過ごしているのだろうか。
何ものにも縛られない毎日とは、一体どのようなものなのだろうか。
 
きっかけは、ただそれだけ。
その時はまだ、ふとした時に思い出す程度だった。
そんな彼が私の思考の大半を占めるようになったのは、ある朝、彼が空を見上げて笑ったのを見てしまった時。

穏やかで優しい、空の蒼がよく似合うような・・・・笑顔だった。

 
それからというもの、私は毎日道で彼を探してしまう。
自室からも、ふとした時に、道を見下ろして、彼の姿を見つけようとする。
 
もう一度あの笑顔が見たかった。

一度も話したことなんてないのに。
彼はきっと私のことなんて知らないのに。
どうして。
どうして彼がこんなにも気になるんだろう。
 
 
 
「ずばり、それは恋ね」
 
 
遊びにきた長年の友人、サキコにこの話をすると、そう宣言された。
 
 
「えええっ、だって何の接点もないんだよ!?」
「ひとめぼれに接点なんて必要なし!」
 
彼女があまりにきっぱり言うものだから、うっかり納得しかけた。
それで、それだけで、想いのベクトルは伸びるものなのだろうか。
たった一目みただけで。
あるいは、噂を聞いただけで。
 
「胸に手をあててよーく考えてみなさい。恋にね、理由づけなんてしたってむなしいだけよ」
「うん・・・・・・」
 
そして、アルバムをめくるように彼を思い出す。
その中に収められている写真の視線はいつもこちらに向けられてはいないのだけれど・・・
 
この、思い出すだけで、胸を締め付けられたようになってしまう原因は。
 
「・・・・・・」

黙り込んでしまった私を見て、サキコは優しく目をすがめた。
「あーあ、あんたも恋する乙女になっちゃったのねえ」
 
部屋の天井を振り仰いで、彼女が笑う。
 
「あんたは昔っから天然で高校のときもまったくそんな気配なかったもんね。あんたにふわっとばっさり蹴られてる男も多かったのよ」
 
 
そうだったのか。
それは知らなかった。
 
でも、それなら、昔みたいに気づかない方がよかった。
 
 
 
私は知っている。
彼がいつも小脇に抱えているスケッチブックにひとりの女の人の絵が描かれていることを。
それを知ったのは偶然だった。
ふとした拍子に舞いあがったスケッチブックの紙が偶然私の家の庭にたどりついてしまって、それをちょうど見ていた私が困って入ろうか入らないでおこうか迷っている彼を見かねてひろったから。
見えてしまった真っ白な用紙に描かれていたのは、
 
凛とした、雰囲気をまとった女の人。
女の私から見ても憧れてしまうような、そんな人だった。
 
「すみません、ありがとうございます」
 
冷汗を浮かべながら頭を下げる彼にその絵を渡す。
 
「・・・きれいな、人ですね」
 
彼は一瞬驚いたようだった。
けれどもすぐに、
 
「そうでしょう? すごく、きれいないひとなんです」
 

そう言って、あの私がずっと見たかった表情で笑った。それなのに私は胸が締め付けられるように苦しくなって、泣きそうになった。
あのときは、その理由がなぜかはっきりとわからなかったけれど、今ならはっきりとわかる。
こちらに向いた彼の瞳が私を透かして別の人を見ていて、心が裂かれるような気持ちになって、泣きそうになったのだ。
今までは呆れられるほどに鈍感だったのに、どうして女の勘は気づきたくないことにも気付いてしまうのだろう。
 
彼は私を見ていない。
見ているのは、あの絵の中の人。
 
蒼い空のような優しい笑顔は、その人のために。
 
 
でも、一度だけでもいい。
 
私にも、その笑顔をくれませんか?
 
 
私は、
 
 
 
キミガスキ
 
 
 
なんです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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片思いリンク目次
●あとがき●
 
片思いリンクに参加させていただいた作品です。
他の参加者の方々が皆さんとても上手な語り手さんや絵描きさんばかりで、まだまだ新米の私が参加させてもらってよかったのか!?・・・と、いけいけで参加させていただいてから少し冷汗を流してしまいました。
でも、参加させていただけて、よかったと思います。
ありがとうございました。
これから続く物語、楽しみにしています。
 

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